

全く更新してなかったけど... unit tripでBosniaの首都Sarajevoに一週間行って来ました。 大学の課題でテンテコで前日の夜中まで課題やってた....どうなることかと本当に心配だったけど
着いたら本当に楽しくて私は終始はしゃいでました。もうLondonに戻って来てしまったけど...もう一回unit trip行きたい。
という位エキサイティングな日々だった。
Sarajevoは十数年前まで内戦があった場所で、ヨーロッパでは第二次世界大戦後最も悲惨だった戦場だったみたいです。
それだけでなく第一次世界大戦の勃発地でもあり、しかもその日付は私の誕生日だったりして ぎょぎょ
とにかく戦争の匂いを漂わせる不思議な街です。(そしてとても小さい)
周りのunitの人々はイタリアとかドイツとかアメリカとか行ってるのに、何故か我々はボスニア・ヘルツェゴビナで「何で?」「恐くないの?」と聞かれても何でなのかは未だに謎です。私の教授のMichael氏は「サラエボにはまだまだ沢山の魅力的な物が隠れている…」とつぶやいていた。しかし日本に居たら「行こう」と思えない場所であることは確かだったのでとにかくレアな体験でした。
街は四方を小さな丘に囲まれて、11月は特に観光シーズンでもないので終始霧が街中に立ち籠め、夕日は紫色。とても寒い。街中の建物の壁に戦時中の銃弾の痕が残っており…とてつもなくミステリアスでロンドンで疲れ果てていた私には刺激が強過ぎ、到着と同時に体を壊しました。

一週間も滞在してたから話したいことはとてつもなく沢山あるけれど…一番印象的だったのが
泊まっていた宿のオーナーが、戦時中に出会った日本人ジャーナリストの著書を私に貸してくれました。
オーナーの若かりし頃の写真がその本には載っていたのだけれど、彼は日本語が読めないので、滞在中に是非読んでくれと言われ…。
しかしなかなか時間が見つけられず、グループでドライブに行った帰りのトラムの中で読んでいたところ。
ロンドンに上陸して以来、日本語の本を読むのが初めてだとふと気がつき。文字が情報の滝になってもの凄い勢いで私の中になだれ込んで来る体験をしました。ページをめくるスピードがとてつもなく速く、隣りに立っていた友達は「あさこ…信じられない位超速で読んでるね…」とびっくりされ。その本は戦時中のSarajevoの街の悲惨さや、宿のオーナーの人生に付いて語っていたのだけれど。
オーナーは19ヶ月間兵士として戦い、その後家族の為にお金を稼ぐために小さなカフェを始めたそうです。「ただただ家族の為だけに戦ったんだ。それ以外は何もなかった。」というオーナーの言葉を日本語で読んだ私はとてつもなく感動し…。それが文字をゴクゴクと飲み込めてしまう位理解可能な日本語だったからなのか、夕暮れの中をガタガタと進む混み合ったトラムの中だったからなのか、サラエボの街があまりにも戦争の影を残していたからなのか、とにかく私は一人本にかぶりついており。
ふと顔を上げると、隣りに座っていたボスニア人のおばあさんが私と本を食い入るように見つめており、私が笑顔で返すと、「日本人なの?」と聞かれ。彼女はドイツ語とボスニア語しかしゃべれない人だったのだけれど、私は英語の単語を連呼しまくり、今読んでる本の内容とか、ロンドンの大学の話しをし、彼女は街の説明をジェスチャーまじりで話してくれ、なんとも奇妙な会話を続けました。
おばあさんがトラムから降りた後、隣りに座ったイギリス人の友達に、「今何話してたの?」と質問され。私がオーナーの話やおばあさんの話を説明すると、彼も感動しており。彼は英語が(当たり前じゃ)ペラペラだけど、私の読んでいた本の内容は全く分からなくて、でも私はその本にSarajevoで出会い、そしてSarajevoのおばあさんは英語がしゃべれなかったけど、我々は何か共通の感動をトラムの中で共有した。
宿に帰ってすぐにオーナーに会い、本の内容を説明し、私は戦争を体験していないから何もかもがとてつもなく強烈で、オーナーの体験も、想像ができないけれど、とにかく「家族の為に」という言葉に感動したと興奮まじりに説明しました。
異なる国の言語と、人々が私の中でなだらかに入り交じるようなそんな体験だった。
ロンドンに到着した日は、そこが東京じゃないことに少し愕然とした。上手く言い表せないけど、ロンドンとサラエボと東京が私の頭の中でくるくる回転しており。友達に「3つとも全然違うんだもん…」と言ったら「あたりまえじゃん!」と返され。
いやはや。とてもとても強烈な日々を過ごしております。
ラベル: travel