Ryuji Fujimura open house
Published by asaco on 08/05/25
藤村龍至さんのpre-open houseにちゃっかり参加してきちゃいました。イェィ やっぱりopen houseは楽しい。何が楽しいって、そこに人が住み始める前っていうのが楽しい。 建築の課題とか触れていて思うことは、作り上げる方も、感じ取る方にも2つの捉え方があるのかなと。
- そこに「理由」をひとつひとつ付加していくことで、空間が成り立っていること。単純に用途に対して、答えが明確に用意されている場所。
- ただ空間として奇麗であったり心地よかったりする。彫刻的なもの。
抽象的な意味を持って作った野外彫刻の細部が、ある個人にとって心地よいテーブルとベンチになったり。
私の卒業制作は、一つ一つに理由があって形体ができていったのに、その意味を言葉でしっかり伝えないと、ぱっと見で他人が共感できてないことが力不足だなって思った。
「ぐるんぱのようちえん」は象さんの作った巨大サイズの使えない靴の中で、小さい子供が楽しく遊ぶお話。
沖縄の城(ぐすく)は、敵国の侵略を防ぐ為の壁なのに、現在城が壊れた後のその壁の上に立つと、空中に浮かんだ道に感じられ、用途に意味はないのにとても心地よかったり。
藤村さんの集合住宅も、家具が置かれる為に窓の位置が上下していたり、屋上の柵がまだできてなかったりして、その理由を聞いて、完成して人の住む姿を想像して、納得することももちろん必要だけど。 純粋にその散らばった窓を自分だったらどう活用するかな?とかそういうことを勝手に考えられるから、 長くなりましたがopenhouseは楽しいです…。

この建築は配管を、構造のコアの部分に修めて、室外機の普通置いてあるベランダを作らない、というコンセプトなのだと思うのですが。外観ではすっきり修められている室外機の小部屋が
かっこいい…。下までストーンと透けて見えて。隣の部屋とは小さなドアで繋がっていました。 外部なのに、内部みたいで、床の上にいるのに、空中に浮いているような場所でした。 ここ、住んでいる人は入れないスペースなんだけど。ここが生活できるスペースだったら、凄く不思議…。
隣同士は完全に共有スペースで、上下は視覚的な面で共有、外部にも露出しているけど、網がかかっているのでバルコニー程目立たない。その上下左右と外部内部の関係が今までに見た事ない釣り合いをしていた。
住宅なのに、殺伐とした工場のような場所でたまらなくツボでした。内部の設備配管の密集した部屋もかっこよかった。 ちょっと見ながら、「Lloyd's of London」を思い出してしまった。
5階の部屋は視線から高い位置に窓があったりして、プライバシーを微妙に確保していた。狭いのに天井高くて、窓の位置が高いと、なんだかプールの底に座っているような感覚を覚えます。
窓から見える隣室との共有スペースは、マンションの中廊下が外部になって窓が大きくなったようなものなのだろうけど 何か違和感 そもそも限られた赤の他人だけで空間を共有するって、ちょっと恐いなぁって思ってしまった。あのマンションの中廊下の緊張感あふれる空間が少し形を変えただけで、この場所を有意義に活用するのって私は難しいかもなぁ。カーテンもしめちゃうかも。
ここはエレベーター出てすぐ右の部屋。 完全にガラス貼りで、ギャラリー玄関! 大きな絵をかざって公開したいような場所です。 Baselで観たズントーの集合住宅も、玄関ドアがガラスで、そこから真っ白な広い壁が見えるようになっていて。奧のプライベートは完全にその壁で守られていて、 皆思い思いの絵とか書道とかを展示していた。 自分の見せたいギャラリーみたいな場所と、見せたくない独りの場所が隣合って共存しているのは凄くいいと思う。
個室と個室を繋ぐ廊下が結構長くて、狭いのですがこんな風にキッチンが畳めるテーブルが付いていた。 朝はここでコーヒーと朝ごはん…ちょっとしたおやつもここで…と想像したら、狭い廊下が廊下じゃなくなり素敵な生活が想像できました…。本を隅に積んでおいたら、コーヒー飲みながら読書に集中できそうだし。料理の本とかエプロンとかもこのスペースに置いておきたいと思いました。
ラベル: architecture
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